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音痴を直すカラオケ上達する方法
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最初のカラオケというサービスの考え方とそれを実現する装置が1971年に井上大佑(いのうえ だいすけ)という一人のバンドマンによって発明された。井上は既存の楽曲を単に再生するだけでなく、バンドマンには当然の発想である歌う人に合わせた音階やテンポという概念をシステムとして実現し、再生装置は「8Juke(エイトジューク)」と名づけられ、リースで販売した。

井上は弾き語り、なじみの客から「社員旅行で使いたいので、伴奏だけを入れたテープ(=カラオケテープ)を作って欲しい」と依頼された。彼は依頼主にあわせてキーを移調し、テンポも変えていた。そしてそこから潜在的な需要に気づいた。そこで8トラックのカラオケテープを作り、コインボックス式の再生装置に入れて、スナックなどに置くこととした。このときのテープ内容は8トラックテープ1本に付き4曲10本で計40曲で、当時の料金は5分で100円だった。

8トラックのテープを使い、また曲にアレンジを加えて長さを調整することで、1本のテープに何曲も入れることができ、また、できるだけ早く頭出しが出来るようになっていた。1曲は3~4分になるように調整されており、1曲目を気分よく歌ったあと、2曲目の途中で次のコインを投入する必要が出てくるため、客はついつい100円玉を景気よく使ってしまう……というパターンが生まれた。

また、カラオケというビジネスモデルが成功した理由のひとつとして、このときリースを導入したことが挙げられる。新譜が次々と出る状況で毎回テープを購入していては店が大変だろうという配慮からと言われているが、それが今日に続く隆盛の原動力の一つとなった。

以下に産業となっていくカラオケの詳しい歴史が記述されている。→全国カラオケ事業者協会

技術としては様々な変遷があるものの、カラオケという装置およびビジネスモデルは井上がセットで生み出したものだ。しかし、井上は特許を申請していなかった。もし特許を申請し取得できていたとしたら、年に100億円の特許権収入が発生するという試算がある。

彼は1999年、米国タイム誌の「今世紀、アジアにもっとも影響のあった人物20人」という特集の中で「毛沢東やガンジーがアジアの昼を変えたならば、井上はアジアの夜を変えた男だ」と紹介された。また2004年には、井上にイグノーベル賞(平和賞)を受賞している。2005年には井上をモデルにした映画「KARAOKE-人生紙一重-」が上映された。

<参考文献:Wikipedia百科事典>

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